整体通信令和7年 8月号より 煮干しになりそう

季節の体

 動植物にとって厄介な暑さが続いています。

 肺の蒸れと、エアロゾルでの日射のレンズ効果による破壊力に体力を削られます。乾いた冷たい空気を吸う(エアコンの効いた屋内で休息する)ことで肺の蒸れに対する対処は事足ります。塩と水の組み合わせにカリウムやクエン酸も加えると保水に関してはやり過ごせます。

 さらなる問題は、暑さによって呼吸器全体がこわばって、日差しによって皮膚が痛められています。日焼けは火傷のようなものですが、呼吸器系統と泌尿器系統の区別があります。今は概ね呼吸器の系統です。

 私事ですが、このひと月の間に、会食で鯛の顔の煮付けが出たことが二度あり、そのどちらも非常に美味しく感じて、骨以外、皮も目玉も唇も、身という身の全てを完食して、食後感が大変満足で、染み渡るような感じがいたしました。良質なタンパク質と融点の低い魚の脂に含まれる各種養分が非常に今の私にマッチしているのだと思います。もちろん体に身につくまでの間には、消化分解のうえ再合成までの過程がありますので、食べたら含まれる栄養素がそのまま全て身につくわけではありません。消化吸収能力との兼ね合いがあり、効用は人それぞれです。私の場合、日焼けで傷ついた皮膚の細胞を新たに作り替えてゆくには、こうした養分が必要ということなのでしょう。卵が好きですが、今は魚なのでしょう。

 呼吸器がこわばると、女性の場合は骨盤運動にも影響が及びます。鶏も卵を産まなくなるように、種族保存本能より自己保存本能のほうが上回る傾向が現れます。生殖成長よりも栄養成長優位になると、植物だと花が咲きませんし、あまりに水が少ないと植物体の水分の蒸散を抑えるため、落葉することを選択することもあります。極端になると枯死してしまいます。

 動物においても同様で、呼吸器系統からホルモン系の乱れ、生殖器系の不調、免疫系統の乱れなどが起きやすくなります。また、過度な刺激による打ち身状態も引き起こしやすくなります。ひとえに、体力の根本を司る呼吸器全体がこわばってしまうがためです。

 

 刺激が続くと、生きている以上必ず反応し続けます。わかりやすいところでは寝ている間に受ける風。風の当たる部分は常に風に対する反射が起きており、休まらずに筋肉は常に緊張、それをモニターする神経も部分的に興奮状態、その信号は必ず脳に届いています。そうでなければ危機の時にぱっと目覚めることはないのです。睡眠を取るというのは、限られた時間内に、できるだけ無防備に万遍なく休ませることが究極の目的です。緩んだ筋肉はすぐさまサッと収縮できますが、こわばった筋肉はそこから緊張するにも限界が近く、伸び縮みの幅がありません。そして硬いと怪我も起こしやすくなります。急に引っ張ったり力を入れたりすると引きつるというのもその仲間です。

 涼しい環境で「仙骨と恥骨の体操」「藤岡式呼吸法(背中にタオルを敷く方法含む)」の連続を朝と晩におこなうこと。暑さに対抗しようとエネルギー源を体が求めるので、ついつい過食になりがちです。本当に必要な養分が何なのかを、自分の感覚で見つけてゆくことも、有効且つ重要です。

 それと乾いた冷たい空気を吸う、塩を上手に使い、水を飲む。(塩分チャージ青)

 消化吸収能力は呼吸器との関係も深く、首の一部とも関連があります。肋骨挙上に伴って、横隔膜の刺激も試みると良いでしょう。

 硬直度合いによっては、植物の事例からもわかるように命がけになることだってあります。難しいのは強い薬を続けたことがある場合を代表とする諸々の事例です。

 他にも産褥熱のようになったり、アレルギー反応を起こしたりと、鈍りと過敏とが極端に都合悪く現れてしまうケースが散見されています。日頃から胸郭を動かす、藤岡式呼吸法で簡単に動かす。それが良いと思います。

 人の体にはまだ涼しくなる兆候は現れてません。そろそろ早い人には現れ始めると思うのですが、今はとにかく胸郭の動きを取る、これに尽きると思います。

 

旧暦の話(続2)

 マスコミがなんとなく使っている言葉「暦の上では○○」。旧暦のことがわかっていると、これは正しい使い方ではないことがわかります。宇宙を小さく観て太陽と地球だけの関係に限定した場合、位置関係の基準は二至二分です。これは太陽と地球の関係ですから、暦は太陽暦になります。これをさらに細かく等分して春分点から春分点までを区切ったものが二十四節気です。

 現在のグレゴリオ暦で1月がなぜ今のように制定されたのかはわからないようですが、冬至のあとに日が長くなり始めた頃のお祭りが、古代ヨーロッパ諸国にておこなわれていたようで、諸説ありますがクリスマスの原型ではないかと言われています。落ち着いた頃を見計らって、今日から始めまーすという具合に決めたのではないかと思います。

 二十四節気の詩情的表現は、単に太陽と地球の位置関係を表現したものに過ぎません。つまり、太陽暦そのものであり、現在のグレゴリオ暦と対比すると、日付は一定です。

 旧暦の話の初めに書いたように、季節変化は月ごよみのほうが正確で、気温変化を読むには太陽暦のほうが役立ちます。つまり、例えば「立秋」というのは現在で言うところの8月7日と言っているに過ぎず、地球の位置を表す詩情的表現は、新月を朔日とする旧暦における、太陽との関係を日付以外で言い表したものなのです。古くにアジア大陸の国家で形成されたものを元にしているため、二至二分以外は言葉の意味と実際の気温変化とにズレがあるのが普通です。

 従って「今日は立秋です。暦の上では秋です。」という言い方は、的を射ていない、かなりお粗末な発言なのです。現代では手紙を書くことはなくなったと思いますが、「立春の候(りっしゅんのこう)」とか、「新緑の冴え渡る砌(みぎり)」などという古文のような接頭文を使いこなせる人ももはやいないのではないでしょうか。

 閏六月(閏水無月)は8月22日までです。

 旧七月になってすぐに季節が変わるわけではありませんが、何かに期待しましょう。

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