氣で字を書く

去んぬる2月19日、当室でおこなっている勉強会において、筆ペンとボールペンと紙とを持ったまま
「氣で字を書くってご存じですか?」
と尋ねたところ、安易にわかりますと言えば絶対何かやらされるという警戒がピリリと走りましたので、間髪入れずに一本の縦線を書いてもらいました。
そうしてから私が実演して、やり方を教えて、練習してもらいました。

こうしたことは本当は自分で気づいてゆくべきものですが、やり方をつかんでからの修練の道のりもあることを考えると、お互いに時間がないので教えてしまいました。
あと積み重ねについては本人のことなので、妥協さえしなければ、やった分だけ上達するでしょう。

私の時は井本先生から「藤岡君は字が下手だねえ」「写真撮るのが下手だねえ」と言われてました。やり方を教えて下さることはありませんでした。
と、いいますか、どこが下手なのかもわからず、正直「う〜ん」と考え込むしかありませんでした。
幼少期から習字もやっていて、それなりに良い字を書けるつもりでしたので、ガッカリしていたものです。

あるときからピタリと、下手と言われなくなりました。
井本先生は、こうしたら良いとか、あそこがダメとかいうことを直接本人には言わないことが多いので、こっそり門下生(内弟子)に聞いてみても、下手だとは言ってないとのこと。
私には理由がわかっていました。
形の善し悪しではなく、氣が入っているかどうかだったのです。
やり方と訓練法をひらめいてから、そこそこ練習して手応えが出てきた頃からぷっつりと、字のことを言われなくなりました。

本当はこういうのは自分で掴まなければなりません。
しかし、如何せん時間がない。だから教えましたが、簡単に手に入れたものは無価値のように思われがちで、私はこれまで随分と凄いことをやってきたにもかかわらず、非情に蔑ろに、甘く見られてきたこともたくさんありました。
それでも自分のことは後、という教えを貫き通してきましたが、ぷっつりとそういう氣をなくす出来事があってから、相手を選ぶようにいたしました。
つい最近のことです。
自分の順番が一向に回ってこない。どこまでも、いいようにこき使われる。手柄を求めるわけではありませんでしたが、それにしたって横取りが多い。
愚痴はこれまで。


氣のことは質と時間の積み重ねが必要です。
一足飛びに功成るというのは、本物の熟練者たちを観てきた者の立場からすると、少し違うのではないかなとも思います。
もはや他所様のことなど知ったこっちゃないのですけどね。自分さえできてればもういい。知らん。

私のクレー射撃が極めつけに上手でも、獲物に当たったためしがないというのも同じことです。皆まで言うまい。

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