整体通信令和7年3月号より ポンコツ王 F岡

季節の体

 2月終わり頃から腰椎四番が緩んできました。これにより春の体への切り替えが始まったと言えます。下から上まで緩むことで老廃物を排泄する働きを助けます。力が抜けない部分があるとそこを緩めようと働くため、そこに関連した症状が起こります。緩むところと緩まないところの機能の差が大きければ大きいほど、出る症状は激しさを増します。春の症状として多いのは出物腫れ物の類いと呼吸器、血管系の不調です。非常に大雑把に述べましたが、春の緩む時季に骨盤を閉めても効果は持続しません。冬の寒い日、骨盤を閉めても良い状態の人に施した矯体法によって、一気に痩せて身が引き締まったことを経験した人もいたと思いますが、ここで過食してしまえば元通りにブクブク太ってしまいますのでご用心ください。

膝~(肩も同様)

 かいつまんで説明すると、膝の悪いものは以下のように分類できます。

 ・死ぬやつ→長年隠れていた不調となる元の故障が暴走を始める兆し

      →心理的ショックの激しいもの

 ・死なないやつ→体の問題→直接の怪我

             →二次的なもの→内臓の疲労

                    →肉体的な疲労

        →心の問題→幼い心に響く出来事 

             →甘え・病気でありたい心

             →真の心理的疲労

 こういうことがわかっていると、時として自身に対して大げさに査定してしまうことがあります。

 1月23日頃から突然左の膝が痛み、腫れ、正座がまともにできない中で操法を行う羽目になりました。外傷の心当たりがないので、頭部と腹部の古い故障が爆発するのだろうと判断して、まあ、三年以内だなとして色々急がねばなるまいと、即行動を始めました。12月一杯で駅前指導室を閉めたのも、そうしたことの一環でもあったので、いよいよかと幕引きを画策し始めた二週間後、思い出したのです。畑の水抜き溝が土の塊で詰まっていたのを、足を使って、膝に対して横向きの力が掛かる方向に強く何度もどけて掻き上げて、引っかけ飛ばしてということを行ったことを。愚かです。

 痛み始めた時点から、自分でたどれる範囲で元をたどると、どうしても左脚の化膿活点という怪我の時の急処に行き着くので変だとは思っていたのです。これを書いている時点(2月28日)でかなり良くなっています。死ぬ前になると禁点の硬結が認められるようになることが多く、私はこれまでに三回死に損なっているためか、常に定位置に禁点の残りかすのような硬結があるので、現れても流れを変えることもできることがあるし、出ずに急変する人も最近では多いので、近年あまり当てにならなくなりました。それでも出ることは多いです。ですから自分のことになるとちょっとよくわからないのです。

 そうして丁寧にたどると、膝関節の亜脱臼変位に加えて、内側の靱帯の一部が損傷していることがわかりました。初めから丁寧に観るべきでしたね。体操として効果のあったのは、椎骨体操で胸椎十番に焦点を集めてから、そのまま胸椎八番の矯体法をつま先から力をしゃくり上げて行い、当初からいつもこの時点で痛みがすっと引いていたのですが、さらにリンパ体操で胸椎七番に焦点を持って行くことで盤石になっていました。一日一回やるかやらないかでそこまでの効果ですから、しっかりやればもう少し早く治っていたとは思います。経過を観るため敢えて行いませんでした。

血圧

 ごく簡単に言うと、血圧と関連があるのは以下のとおりです。尚、血圧の上と下は、上がポンプの圧力が掛かっているときで、下がポンプが膨らんで血をため込んでいるときの、「測定部位」における圧力のことです。

 ・心臓の伸び縮み

 ・血管の伸び縮み

 ・筋肉の伸び縮み

 ・内臓の伸び縮み

 全て筋肉ということがわかると思います。血を送るポンプの問題なのか、管の問題なのか、行き先の問題なのかのどれかです。原因も調べずに闇雲に下げることの恐ろしさがわかると思います。

 例えば、体全体を使う術を知らず、腕力のみに頼っている場合、胸から腕にかけての筋肉の緊張が解けないために、心臓は指先に血を送ろうとして圧を高めます。それは異常なのでしょうか。その部位の抵抗を軽減すれば済む話だとは思いませんか。投薬によると万遍なく緩みやすいところにだけ作用するため、本来緩めるべきところだけに作用することはできません。結果、副作用による筋収縮の不全が起こりうるわけです。

凍傷

 これまた私自身のことをネタにしています。なかなか賑やかなのです。体がポンコツでもそうとは見せず変わらず正しく活動することで、体というものはそういうように順応してゆくものです。それゆえ日常生活で普段何をやって過ごすかが大事なのです。

 痺れには循環の不具合からくるものと、神経の不具合からくるものとがあります。この二種類のうち流れからくる痺れは見落とされがちです。

 今年に入って、とても寒い日吹雪の日に屋外で作業をし続けねばならない状況になり、作業を終える頃には手が凍傷になりかけていました。

 だんだんと手が麻痺したようになって力が入らなくなりました。麻痺の前段階には痺れがあり、痺れに至るまでには痛み、痒みといったように、良くなるにも悪くなるにも順序があります。痒いときに掻くことで、血行を促進しようとするのです。痛みは収縮に対する反応です。収縮して弛緩してを繰り返すことで血液が送られるので、縮む一方だと良くないのです。

 凍傷になったときには、急にお湯に浸けるなどしない方が安全に回復します。私の場合は手が塞がっていたので片方ずつポケットに入れて急場をしのぎました。ようやく車に乗り込むことができてから、エアコンの暖気でゆっくり温めることで、麻痺が痺れに変わり、血行が回復して赤みがかり始める頃には痛みが出てきました。それがじりじりとした蟻走感が生じ、それはある種の痒みと言い換えることができますが、その頃には手の力が回復していました。

 このような具合に、痺れというものには、循環の不具合によるものが意外に多いのです。このような場合、神経的な対処をしたところで効果はありません。一方で、神経的なものである場合は、神経の圧迫が筋肉的なバランスの結果であることもあり、そのような場合であれば、運動系から回復に導くこともできます。無論、器質変化による圧迫であれば手術などが必要な場合もあります。

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