整体通信令和7年6月号より〜趣味と実益

季節の体

 発汗機能と皮膚の機能は一蓮托生です。そして皮膚の機能は呼吸器の働きと関連があります。発汗の力が弱いと、たやすく蒸れに足を引っ張られて息苦しさや頻脈などを生じます。これは熱がこもることを意味します。つまり、発汗力と発熱力は同じです。死ぬと熱が生じなくなるということは、熱は生きる道であると言えます。したがって、あらゆる治癒には熱なり何なりの排泄が伴って、その後の経過を辿るということなのです。それゆえ整体指導においては、積極的な排泄の活用ということを説いていくわけですが、体の感覚に正直な人でないと、いつまでも半信半疑のまま真の知恵を活用できずに終わることだってあります。腹を決めて実行すれば良いのに、くだらない入れ知恵によってたやすく足を引っ張られる。ネット社会になって、生命力に欠け自らの治る体力も気力も使えない、またはそもそも力そのものがないような人も多くなってきたように感じます。下手をすると年寄りの方が活力があるということも多いようです。体を使わなくなったからでしょうね。

 5月下旬時点では暑さ寒さ湿気の目まぐるしい変動によって、体温調節に忙しく、皮膚に無理がきて皮膚病が出たりと呼吸器の機能を狂わせがちです。このように出すのが下手な体の人は気温が低くても熱中症のリスクがあります。5月26日には本人は無自覚の風邪の体の人もいましたが、閊えを通すことで風邪抜きはその場で執り行いました。腎臓系の風邪に入る兆しが観られる方も多く、頭痛持ちの人にも影響があります。また、既にガンをお持ちの方は肺の蒸れと、患部の血行不良による深冷との格差で体温調節に混乱を生じますので、患部の蒸しタオル法(熱刺激:熱→常温→熱→常温→3~4回繰り返す)と、肺の蒸れ取りのために心地よい程度の乾いた冷気のもとで呼吸をすることとの両面を考慮した方が良く、秋口でなくても体の水分の吸収促進のため熱めの汁物(鍋物や豚汁のような感じの羹)の摂取も有効です。

 

旧暦の話

 整体操法の観点からすると、体が敏感な人も鈍い人も、この先の季候の変化を感受して、前もって準備を始めて変動が起こっています。動きが良く弾力もある場合は、その変動も円滑に経過できます。そうした素質を読み取ることで、先にどうなるということが概ね推し量ることができ、観察を突き詰めると、詰まるところ、その人の人生も現状維持のままだとやがてこうなってゆくだろうと大雑把に予測が可能です。

 当人を呪縛しないようにわかっていても言わないように気をつけるのですが、どうしても言いたくなることもあります。ただ私も経験を重ねるほど、正直に素直に言うことが難しくなってきました。あなたいついつ死にます、とか、あなたの症状の元はヒステリーです、とか、その膝痛(肩こり)は食い過ぎが元なので減食しないと一生治りません、とか‥以前は多くの人を落胆、立腹させたものです。今は当人の周りの人の気持ちや、当人のやる気の喪失、受け入れる気力体力や実行の可能性、実現能力などのことも感じ取ってしまって、以前のような舌鋒の切れが無くなったと自覚しています。こういうのは以前少し紹介した体周期律とも関わりがあります。

 体周期律に関わりが深いのが太陽と月と金星です。ややこしくなるので今は金星のことは省きます。氣や血水、髄液、力の流れや知性といった、科学的に証明不可能な分野は、こう書くと恥ずかしいのですけど、自然とか宇宙の真理というものと密接に繋がっています。以前にも説明したように、氣というのは集めて生命体を為す働きのことで、氣の集中や流れというものは人間が訓練してコントロールできるのだということで、東洋医学的には自然との繋がりを積極的に求めることができる実用的な方法なのです。

 さて、旧暦というのは太陽太陰暦、現在使われているものは天保暦で、明治の初めに太陽暦(グレゴリオ暦)へ運用が置き換わりました。太陽暦は冬至から冬至までの太陽の運行を区画整理したものですが、太陰暦は新月から新月までを基準とした暦です。太陽太陰暦は一年の基準を冬至から冬至の太陽暦に整合させるための方便であり、その区画整理の仕方の元になった太陽と月の運行計算は、非常に緻密で正確なものとなっています。江戸時代の日本人の天体軌道計算の能力は世界的にも突出していたようですが、明治初めに福沢諭吉によって全面的に否定されました。この改暦を怪しむ人は必ず無学文盲の馬鹿者なり、と。実のところ、明治六年は閏六月があり一年が十三ヶ月の年でした。明治五年十二月三日(旧暦)が明治6年1月1日(新暦)だったので、旧十二月と翌閏六月二ヶ月分の役人の給料をカットすることに成功しました。奇しくも2025年は閏六月がある年です。このように、旧暦には元々太陽暦が含まれており、表現が異なっていただけです。月日は月の運行で、朔日(ついたち)が新月、季節との整合性のための太陽暦は、二十四節気として表されています。

 これまで20数年以上、旧暦と現実の季節や季候との整合性の記録を毎日、折を見て天体観測も不真面目ながらおこなってきました。これらをおこなう過程において、早い段階で、月の運行が地球上のあらゆる水分の流れ、ひいては気圧配置に及ぼす影響すなわち季節変化に深く関わっていて、太陽は温度と蒸発に関連することが大雑把にわかってきて、体の変化から季節を読む能力が今ほどではない頃には、大いに先読みの参考にしたものでした。こうして分析を続けて、やがて感じ取れるようになって不必要にはなりましたが、一般人にとっても大変便利なツールとして暦は非常に重要と知ることができました。

 旧暦五月のことを皐月(さつき)と言い、旧六月を水無月(みなづき)と呼びます。皐月は仲夏、その中日を中夏と呼びます。旧暦では春が一二三月、夏が四五六月なのです。仲はあいなか、中は真ん中という意味です。太陽太陰暦の上では皐月は雨期、水無月は雨が少なく蒸し暑さを増す時季とされています。旧五月一日は、今年は5月27日でした。旧六月一日は6月25日です。そして閏六月というのは閏水無月のことですから、今年は水無月が二ヶ月続きます。暦の上では夏が一ヶ月長いことになります。

 本来夏は発汗によって適度な脱塩をすることで、体が脱力して程よく緩み、失った塩分やカリウムなどはスイカに塩振って食べておけば後はそうめんくらいで乗り切れたものでした。今は脱塩脱水が酷すぎて消耗し、水ばかり飲んで塩を摂らないと吸収しないばかりか体液の水分濃度が濃くなり過ぎて、電解質バランスの崩れから目が回る、心停止する(塩は筋肉の収縮に必要なため塩分濃度が薄まりすぎると心筋がうまく収縮できなくなる)といった水中毒を起こしたりします。もう一つは肺の中の蒸れで、熱がこもる現象ですからいくら表を冷やしても夜中じゅう熱く火照って眠れるのが朝方ということもざらにあります。以前は冷房病と言われて冷房の使用を毛嫌いする風潮がありました。私たちがいち早く冷房を使って肺の中の熱を取るということを言い始めた頃も、塩も減らしすぎると腎臓機能が衰えると言っていたときも、随分と反対意見が出ていたものですが、最近では適切にエアコンを使うことや、塩分を摂ることをNHKラジオなどでも言ってくれるようになりました。

 現時点(5/29)では夏の暑さの兆しは人間の体にはまだ観られません。暦の上では夏が長めで水蒸気の上昇と重なると積乱雲が発達しやすくなるとでています。人々に変化が現れるのはもう少し先のことですが、今年はツバメのつがいがやたら私について回って、軒下ではなく倉庫の奥に営巣しようとすることから、ちょっと不安定で晴れると暑くて、時折荒れる天気になる可能性も否定できません。この点、人間よりは野生の動物の方が感覚的に優れています。さて、どうなることか。

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